世界大百科事典(旧版)内の皇極暦の言及
【暦】より
…いまその主要なものを表2に示す。 このほか隋の時代に劉焯(りゆうしやく)が編集した皇極暦は,優秀な暦として知られ,公用されなかったが,唐代の暦法の模範となり,大きな影響を及ぼした。なお,中国において太陽暦が採用されるのは中華民国の成立(1912)によってであった。…
【中国天文学】より
…なおこれより以前,4世紀前半の東晋時代に虞喜によって〈歳差〉が知られた。これらの知識をすべてとり入れ,画期的な暦法をつくったのが隋の劉焯(りゆうしやく)の〈皇極暦〉である。劉焯は日月の運動を計算するにあたって補間法を考案した。…
【二十四節気】より
…この置閏の原則は前104年に制定された前漢の太初暦以後の暦法に踏襲された。後漢末の劉洪が月の運動の不規則性を考慮した暦法を作り,北斉(550‐577)の張子信が太陽の視運動の不規則性を発見したのを受けて,隋の劉焯(りゆうしやく)は604年(仁寿4),皇極暦を作成して二十四節気の決め方の改革を提唱した。周天を24等分して,太陽が1等分点を通過するごとに一つの節気の日付を決めるようにしたものであった。…
【劉焯】より
…天文学に精通し,二次差補間法公式を作って太陽や月の運動の不規則性の計算を解決し,平気に代わって定気を用いることを提唱した。604年(仁寿4)に皇極暦を編み,官暦には採用されなかったが,唐代の暦に大きな影響を与えた。【橋本 敬造】。…
※「皇極暦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」