相互安全保障法(読み)そうごあんぜんほしょうほう[アメリカがっしゅうこく]

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「相互安全保障法」の意味・わかりやすい解説

相互安全保障法[アメリカ合衆国]
そうごあんぜんほしょうほう[アメリカがっしゅうこく]

「MSA」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の相互安全保障法の言及

【MSA協定】より

…1954年3月8日,岡崎勝男外務大臣とアリソンJ.M.Allison駐日アメリカ大使との間で調印された協定で,〈相互防衛援助協定〉〈農産物購入協定〉〈経済措置協定〉〈投資保障協定〉の四つからなる。日本の軍事力増強を図るためにアメリカが援助を与えることを主旨とし,その根拠がアメリカで1951年10月に成立した相互安全保障法Mutual Security Act(略称MSA)に求められたのでこの名がある。MSAは,従来さまざまな立法によって行われていた経済・軍事援助を一本化し,アメリカの援助受入国に対して自国および自由世界の防衛のための努力を義務づけた法律であり,1950年代のアメリカの世界戦略を担っていた(〈軍事援助〉の項目を参照)。…

【軍事援助】より

…1947年3月12日に発表されたトルーマン・ドクトリン,同年6月5日に発表されたマーシャル・プランがその出発点であったが,50年代半ばまでのアメリカの軍事援助は,(1)援助受入国の大多数が2国間あるいは多数国間の同盟条約によりアメリカと軍事的に密接に結びつけられていたこと,(2)援助の大半が無償で行われたこと,という特徴を有していた。51年に制定された相互安全保障法Mutual Security Act(略称MSA)は,それまでさまざまな立法によって行われていた経済・軍事援助を一本化したものだが,同法はアメリカの援助受入国に対し,自国および自由世界の防衛のための努力を義務づけた。しかし55年にソ連がチェコスロバキアを通じエジプトに武器を供給し,非共産主義国への軍事援助に初めて踏み切ったことから,アメリカもまた同盟国以外の第三世界諸国に積極的に軍事援助を供与するようになった。…

【軍事顧問団】より

…まず上院は1948年6月,個別的・集団的安全保障の取決めを結ぶにあたっては〈継続的かつ効果的な自助および相互援助を基礎〉とすべきことを求めるバンデンバーグ決議を採択した。これを受けてアメリカ政府は49年に相互防衛援助法を,51年には相互安全保障法(MSA)を,61年には対外援助法を制定し,各国と協定を結んでいった。日本は1954年3月8日に日米相互防衛援助協定(MSA協定)を結び,46番目の締結国となった。…

※「相互安全保障法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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