世界大百科事典(旧版)内の相撲節会の言及
【行司】より
…職業相撲で軍配うちわを持ち,東西の力士を立ち合わせ,勝負の判定をし,勝力士に軍配をあげ勝ち名のりをさずける役目。平安時代の宮中儀式〈相撲節会(すまいのせちえ)〉には勝負を裁定する中立の行司役はなく,〈立合(たちあわせ)〉という進行係が,左近衛,右近衛から2人ずつ出場しただけである(後世江戸時代の相撲伝書に行司開祖を平安時代におくのは誤り)。鎌倉時代《吾妻鏡》に見える相撲奉行も武将がつとめ,相撲大会の監督で行司役はいなかった。…
【野見宿禰】より
…結果は野見宿禰が蹶速の肋骨,腰を踏みくじいて勝ち,以後野見宿禰は宮廷に仕えることとなる。以上は古代宮廷の年中行事で7月7日に行われた相撲節会(すまいのせちえ)の起源説話である。なお《日本書紀》は垂仁32年の皇后逝去にさいし,野見宿禰が従来の殉死の風を改め埴輪(はにわ)を立てることを献策し天皇より嘉賞されたという話を伝えている。…
【弓取式】より
…これは勝力士の喜びを表現する意味がある。平安時代の相撲節会(すまいのせちえ)のとき,相撲取組の終わったあと,勝ったほうの左右いずれかの近衛側から舞人が登場して弓をとって立合舞(たちあいのまい)を演じた。これが弓取式の起源だといわれているが,勝力士にほうびとして弓を与えることは織田信長のときから始まった。…
※「相撲節会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」