世界大百科事典(旧版)内の石坂ミナの言及
【北村透谷】より
…明治期の詩人,評論家。神奈川県生れ。本名門太郎。別名蟬羽,脱蟬子。1881年12歳のとき,東京数寄屋橋近くに移住する。このころ,自由民権運動は最高潮を迎え,政治への野心にめざめた透谷は,83年から2,3年は三多摩地方の民権運動の青年グループと接触をもつ。しかし,85年に,自由党左派の〈朝鮮革命計画〉(大阪事件)の行動隊に参加を求められて,運動から離脱する。この間,84年に東京専門学校政治経済学科に入学。…
※「石坂ミナ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」