世界大百科事典(旧版)内の石村洞古墳群の言及
【ソウル】より
…《三国史記》によると,そのころ慰礼城ないしは漢山,漢城などと呼ばれた。その周辺には,石村洞古墳群など百済前期の墳墓群が知られる。統一新羅時代に入ると,全国九州のうちの漢山州に編入されたが,景徳王代の8世紀の中ごろには,漢州に変わり,その付近を漢陽郡とした。…
※「石村洞古墳群」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…《三国史記》によると,そのころ慰礼城ないしは漢山,漢城などと呼ばれた。その周辺には,石村洞古墳群など百済前期の墳墓群が知られる。統一新羅時代に入ると,全国九州のうちの漢山州に編入されたが,景徳王代の8世紀の中ごろには,漢州に変わり,その付近を漢陽郡とした。…
※「石村洞古墳群」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...