世界大百科事典(旧版)内の社会民主党(英)の言及
【イギリス】より
…両党に不満足な有権者は,長年低迷していた自由党支持に向かうか,スコットランドやウェールズの地域独自性を主張する政党に流れた。81年には労働党穏健派の一部が分離して社会民主党SDPが結成されるなど,政界再編の動きも目立つようになり,その主要な流れが集まって自由民主党になった。97年選挙では保守・労働両党の得票合計は75%程度になり,小選挙区制を含めて,伝統的な二大政党政治が民意を十分には吸収できなくなっているという批判も根強いが,保守・労働両党ともに比例代表制には消極的である。…
【ゲーツケル】より
…その間一貫して労働党の現代的再生のために尽力したが,次の総選挙での勝利を目前にしながら,63年1月急逝した。81年3月に労働党から分離した社会民主党には,ゲーツケルの考え方を継承する者が多い。【萩原 延寿】。…
【中道】より
…もともとは道の中央あるいは中庸公正な道の意であるが,政治用語としては,一般的に左右の政治勢力の中間に位置する政治的立場を指す。このような立場を標榜する政党が〈中道政党〉であり,この種の政党の典型としてあげられるのが,西ドイツのキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)とドイツ社会民主党(SPD)の中間に立ち,1949‐66年にはCDU/CSUとの,69年以降はSPDとの〈小連立〉に参加してきた自由民主党(FDP)や,社会主義なしの社会改革を主張し,政治的スペクトル上で保守党と労働党の中間点を占めるイギリス自由党,さらに労働党よりは穏健で保守党ほど保守的でない立場を唱えて労働党からの離脱者を中心に81年3月に結成されたイギリス社会民主党などである。日本で中道勢力をめぐる論議が盛んになってきたのは,1970年代後半以来の1955年体制崩壊期においてで,〈55年体制〉下の保守・革新の二分法的政治勢力配置状況のなかで,その中間に立つ第三勢力として台頭してきた諸政党が中道勢力と呼ばれてきたが,とくに公明,民社,社会民主連合のみを指して〈中道3党〉という場合と,これに新自由クラブを加えて〈中道4党〉という場合がある(新自由クラブは1986年解党)。…
【労働党】より
… 労働党を特徴づけるマルクス主義とフェビアニズムとの歴史的妥協は,党の野党化とともにその矛盾が顕在化した。1980年キャラハンが辞意を表明し,後任党首に左派のマイケルフットMichael Foot(1913‐ )が選出され,活動的左派が党支部を掌握し,81年,これに反発する右派が脱党して社会民主党Social Democratic Partyを創設した。労働党は社会主義への有効な移行の理論を欠くイデオロギーの党へと傾斜し,83年総選挙で一方的核軍縮の断行,ヨーロッパ共同体からの脱退などの政策を掲げて敗れた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」