…1869年8月,ドイツ労働者協会連盟のベーベル,W.リープクネヒトたちと,シュワイツァーの全ドイツ労働者協会を脱退したブラッケWilhelm Bracke(1842‐80)らとがドイツのアイゼナハで開いた全ドイツ社会民主主義労働者大会において採択された綱領。それに伴い社会民主労働者党が創立された。草案は主としてベーベルの手になる。…
…1875年5月,全ドイツ労働者協会(ラサール派)と社会主義労働者党(アイゼナハ派)がドイツのゴータ市で合同大会を開いて採択した綱領。それに基づいて両派はドイツ社会民主労働者党へと発展解消し,その後のドイツ社会民主党の発展の基礎が築かれた。アイゼナハ綱領に比べ,マルクス的な発想が後退し,〈反動的集団〉〈賃金鉄則〉といったラサール派の用語がいっそう目だつ。…
…生産手段の私有と私的管理,労働力を含む商品の自由競争という資本主義社会の原則を批判して,生産手段の共有と共同管理,計画的な生産と平等な分配を要求する思想と運動,また,その結果具現された社会体制を広く社会主義と呼ぶ。社会主義という用語は,このように思想,運動,体制の次元にわたり,時には資本主義の個人主義的な利潤追求欲に対立するものとして集団主義的な友愛の連帯という倫理の次元までも含んで用いられるために,内容的には多義にわたらざるをえない。…
…しかしここでも労働者の自立の傾向が強まり,68年には,VDAVもADAVと同様,国際労働者協会(第一インターナショナル)の立場に支持を表明するに至った。 69年8月,VDAVのベーベル,W.リープクネヒトら労働者派は,ラサールの後継者J.B.vonシュワイツァーと対立してADAVの分派を形成していたブラッケWilhelm Bracke(1842‐80)らとともに,アイゼナハで集会を開き,アイゼナハ綱領を採択し社会民主労働者党Sozialdemokratische Arbeiterpartei(SDAP)を創立した。新党(アイゼナハ派)と,ラサールの影響のいっそう強いADAV(ラサール派)とは競合を続けたが,普仏戦争の後半,プロイセンの征服政策にはともに反対の声をあげた。…
※「社会民主労働者党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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