社崙(読み)しゃろん

世界大百科事典(旧版)内の社崙の言及

【柔然】より

…中核部族たる郁久閭(いくきゆうりよ)部は初め鮮卑拓跋部に属したが,4世紀その支配を脱して柔然の号を立て,拓跋部の華北建国とともに,かわって内モンゴルを制圧した。402年社崙(しやろん)(?‐410)は北アジアのほぼ全域を握って〈丘豆伐可汗〉と称し,以後東西交易路をおさえて北魏を圧迫したが,552年突厥に敗れ四散し,554年完全に潰えた。【杉山 正明】。…

【モンゴリア】より

…柔然はさらにジュンガリアからタリム盆地にまで勢力を広げた。402年即位した柔然の長,社崙(しやろん)は丘豆伐可汗(きゆうとうばつかがん)と称したが,北アジアの君長が可汗kaghanを唱えたのはこれが初めてであるという。 6世紀になると柔然は内紛と,支配下にあった諸部族の離反によって衰えた。…

※「社崙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む