祇南海(読み)ぎなんかい

世界大百科事典(旧版)内の祇南海の言及

【祇園南海】より

…江戸時代の文人画家。日本における文人画の祖といわれる。紀州藩の藩医祇園順庵の長子として江戸に生まれる。名は瑜,字は伯玉。南海は号。湘雲,信天翁などの別号がある。1689年(元禄2)14歳で初めて木下順庵に謁した際,七言律詩を賦して木門諸子を驚かす。また藩主に詩を献じて褒美を拝領するなど年少のころから詩文に豊かな才能を示し木下門下の逸材といわれた。97年22歳で藩の儒官となるが,3年後,不行跡によって知行を召し上げられ,城下を追われて片田舎に謫居(たつきよ)を命ぜられる。…

※「祇南海」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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