世界大百科事典(旧版)内の神三郡の言及
【伊勢神宮】より
…神宮の神事には古式が守り伝えられているが,毎日朝夕に供進される御饌(みけ)を,火鑽(ひきり)具でとった火で調理するのはその例である。
[神領]
神宮の経済は,古代では封戸と神田によって支えられていたが,その多くは伊勢国の度会,多気(たけ)の2郡にあったので,両郡を神郡といい,897年(寛平9)に飯野郡が寄進されると,神三郡と呼んだ。10世紀以降,律令制の解体がはじまると,神宮にも新しい所領が加えられたが,神宮の荘園はとくに御厨(みくりや),御薗(みその)と呼ばれた。…
【伊勢国】より
…両度の行幸に関する作歌が《万葉集》にある。 平安時代に入ると,神宮領の拡大が顕著で,897年(寛平9)飯野郡が神郡となり,神三郡が成立,これを道後(みちのしり)とも称した。940年(天慶3)員弁郡,962年(応和2)三重郡,973年(天延1)安濃郡,1017年(寛仁1)朝明郡,1185年(文治1)飯高郡と道前(みちのさき)の5郡が増加して神八郡となった。…
【神郡】より
…社領の一種で,貢納と奉仕の任をもつ神戸(かんべ)が一郡にわたって存在し,郡全体が神領となったもの。伊勢神宮では古くから伊勢国多気,度会郡を神領として寄せられ,その後飯野郡を加えて特にこれを神三郡(しんさんぐん)と称した(のち神八郡)。このほか,安房神社の安房国安房郡,鹿島神宮の常陸国鹿島郡,香取神宮の下総国香取郡,出雲大社の出雲国意宇(おう)郡,宗像神社の筑前国宗像郡,日前国懸(ひのくまくにかかす)神宮の紀伊国名草郡などがある。…
※「神三郡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」