神屋寿禎(読み)かみや・じゅてい

朝日日本歴史人物事典 「神屋寿禎」の解説

神屋寿禎

生年:生没年不詳
戦国時代の筑前博多の町衆,貿易商兼鉱業家。天文8(1539)年の勘合船の副使策彦周良の渡航日記『策彦和尚初渡集』には総船頭神屋主計のほか同姓の次郎太郎,加計,彦八郎,孫八郎らと共に寿禎の名前がしばしばみられ,周良らに贈り物をしている。同10年7月3日勘合船が斑島に到着した折,博多の船がきて,寿禎が「斗合弐個」を贈っている。7月13日には大斗合1個と茄子1盆を贈っている。「斗合弐個」は博多の酒であったらしい。寿禎を主計の子とする説もあるが,これらの記事から推してふたりは同時代に生きた貿易家であり,親子ではなくむしろ同年配の共同出資者格とみなされよう。寿禎は出雲の鷺銅山へ銅を仕入れに赴く途中で石見銀山を発見し,大工や掘り師らを同道して銀鏈を手に入れ,筑前に運んで巨利を得た。天文2年には博多の宗旦,桂寿ら吹き工を連れて再び石見に赴き,銀を吹き白銀を採ることに成功した。寿禎が銀の製錬術を外国技術に学んだことは,同家の貿易商人としての性格から十分考えられる。<参考文献>「神屋家由緒書」,『泉屋叢考』6輯

(武野要子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の神屋寿禎の言及

【石見銀山】より

…戦国時代からの代表的銀山。島根県大田市大森町に所在し,現在は大森鉱山と呼ばれている。16世紀前半期に仙ノ山付近に銀坑を開発。1533年(天文2)博多商人神谷寿禎が吹工を伴ってきて銀の製錬に成功した。産銀増加とともに,大内・尼子・毛利氏の間に銀山争奪戦が反復され,銀山に山吹城があり,南西方の降路坂の南に矢滝城があり銀山の押えに当たった。62年(永禄5)毛利氏が銀山を確保し,やがてこれを室町幕府と朝廷に料所として献じ銀を貢納した。…

【神屋宗湛】より

…織豊政権より江戸幕府初期に至る博多の豪商で,茶人としても有名。幼名善四郎,字は貞清。神屋家は室町中期より代々博多の主だった豪商で,2代目主計は1539年(天文8)に遣明船の総船頭をつとめるなど,一族とともにたびたび遣明船貿易に従事した。また貿易の関係で従来から神屋家は出雲の鷺銅山の銅を求めていたが,3代目寿貞によって鉛を媒剤とする銀の製錬技術を輸入し,1533年他の博多の吹工の協力を得て石見銀山の経営に成功した(《銀山旧記》)。…

【博多商人】より

…日明貿易においては,足利義満に明への通交を勧め,みずからも初回の遣明副使となった肥富(こいつみ)は博多商人とされているし,大内氏の勘合貿易を担ったのは,奥堂氏,神屋氏,河上氏,小田氏といった博多商人であった。神屋寿禎は大陸から先進的な銀の精錬技術を輸入し,石見銀山の開発に利用したといわれている。また朝鮮貿易においても,1419年(応永26)の応永の外寇の直後,真相究明のため室町幕府から副使として朝鮮に派遣された平方吉久,日朝・日明貿易に活躍し〈富商石城府代官〉と称された宗金とその一族,博多を本拠として朝鮮と琉球の間で活躍した道安など,多数の博多商人が活躍した。…

※「神屋寿禎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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