世界大百科事典(旧版)内の神山三郎左衛門の言及
【信達騒動】より
…この地域では近世後期にしばしば百姓一揆が起こっているが,なかでも1749年(寛延2)の幕領での惣百姓強訴と1866年(慶応2)の世直し騒動は,信夫・伊達両郡にまたがる規模のものであったので信達騒動と呼ばれている。 (1)寛延の惣百姓強訴は1749年桑折(こおり)代官所の代官として着任した神山三郎左衛門が,凶作にもかかわらず過酷な増租策を打ち出したのが原因である。管轄下の60余村は再三減免を求める運動を繰り返したが取り上げられなかったため,いっせいに蜂起して代官所へ押し寄せ,年貢減免,安値による石代納と延納,訴状を幕府へ上申しなかった手代の引渡しを要求した。…
※「神山三郎左衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」