神祇管領長上(読み)しんぎかんれいちょうじょう

世界大百科事典(旧版)内の神祇管領長上の言及

【吉田神道】より

…兼俱はこうした教説を具体化するために,1484年(文明16),吉田神社に大元宮と称する神殿を建て,斎場を作った。八角形の本殿に六角形の後殿を接続させたその奇妙な神殿には,すべての天神地祇,全国3000余社の神々を勧請し,兼俱は神祇長上(神祇管領長上,神道長上,神祇統領などともいう)を自称して白川家に対抗した。兼俱は,神祇長上を権威づけるために,その官職が平安時代末に始まったものといつわったことにみられるように,さまざまな策謀をめぐらして吉田家の力を伸ばし,宗源宣旨と称する文書を発行して全国の神社に位階を授け,神号を認め,神殿や祭礼に関する認可を与えるなどのことを行った。…

※「神祇管領長上」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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