世界大百科事典(旧版)内の秀英舎の言及
【印刷工】より
…当初の印刷機は手動運転で,1台の〈ロール〉に見習工が2~3人ついて〈はずみ車〉を回して運転した。日就社(読売新聞社の前身)が76年,秀英舎(大日本印刷の前身)が83年にそれぞれ蒸気機関を設置し,その動力によって初めて印刷機を稼働した。その後,秀英舎に電力が導入されたのは1917年のことである。…
【工場】より
…どれも石造または煉瓦造で,木造洋風の小屋組みをもっている。日本最初の鉄骨造工場は,元海軍技師若山鉉吉(げんきち)(1856‐99)が設計し,フランスより骨材を輸入して建てた秀英舎印刷工場(東京,1894)である。しかし,まもなく1901年創業の八幡製鉄所が自社の鉄材で15棟2万6800m2に及ぶ工場を建てている。…
【佐久間貞一】より
…幼名,千三郎。安井息軒に学び,維新後さまざまの事業を行ったのち,1876年9月に今日の大日本印刷の前身,秀英舎を東京板橋におこし,その経営にあたった。日本の殖産興業をはかるという見地から同業組合,商業会議所の育成に尽力するとともに,徒弟教育,職工資格の確定,職工保護政策,職工組合の必要を力説した。…
【大日本印刷[株]】より
…売上高において日本のみならず世界でも1位の印刷会社。1876年に創業した日本で最初の本格的印刷企業であった秀英舎(個人経営)がその前身。なお,1935年まで使われた秀英舎の社名は〈英国より秀でるように事業を伸ばせ〉という意味で勝海舟が名づけたものである。…
※「秀英舎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」