世界大百科事典(旧版)内の私経済学論争の言及
【経営学】より
…この動きは,それまでの経営経済学が利潤追求を目的とする私企業を対象としてとり上げていただけに,1880年代から1900年代にかけて国民福祉に傾斜していく国民経済学が方法論争,価値判断論争を通して科学性を問題視していた状況と無縁ではなかった。1910年代に激しく展開された〈第1次方法論争(私経済学論争)〉は経営経済学がその科学性を問われた最初のものであり,20年代末の第2次方法論争,50年代初頭の西ドイツにおける第3次方法論争,70年代の第4次方法論争とたび重なる論争の展開において,歴史のなかでこの分野における争点の複雑さをうかがい知ることができる。 こうした論争を通じて,(1)理論学派,(2)技術論学派,(3)規範論学派がそれぞれその時々の経営経済学の主流を形成してきた動きこそ,1920年代の産業合理化期,30~40年代のナチス期,第2次大戦後の西ドイツの〈経済の奇跡〉といわれる時期,70年代のオイル・ショック,公害,エコロジー運動の時期にあっても,企業の在り方をめぐりつねに問われてきた問題点であった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」