世界大百科事典(旧版)内の秋本二郎兵衛尉の言及
【櫛淵荘】より
…祠家の田中氏に伝領されており,1205年(元久2)田中通清がその子宗清に譲っている所領のなかにあらわれるのが初出。承久の乱後,秋本二郎兵衛尉が新補地頭として入部し,入部直後の1222年(貞応1)から良田を地頭分と称して押領するなど,はげしい地頭非法を展開する。八幡宮側は鎌倉幕府に訴え,非法停止の六波羅下知状をうけるが地頭非法はやまず,争いは秋本左衛門次郎泰恒の代まで60年にわたりつづく。…
※「秋本二郎兵衛尉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」