世界大百科事典(旧版)内の秦為辰の言及
【矢野荘】より
…現在の兵庫県相生市矢野町,若狭野町から旧相生市内に及ぶ範囲にあった。もと久富保と称し,11世紀末に播磨国赤穂郡大掾秦為辰が開発した私領である。秦氏はこれを修理大夫藤原顕季に寄進,それが顕季の孫で鳥羽上皇の皇后美福門院得子に伝えられ,1136年(保延2)鳥羽院庁牒によって正式に立券,ここに美福門院領として矢野荘を称することとなった。…
※「秦為辰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」