世界大百科事典(旧版)内の移民制限法の言及
【移民】より
…アメリカ合衆国でも19世紀後半,中国人移民が増加し,大陸横断鉄道の建設などに従事した。
[移民制限時代]
アメリカ合衆国では1882年に中国人を対象とした移民制限法が成立,これを最初として非白人移民への門戸はしだいにせばめられ,最後に残った日本移民も1924年には禁止された(排日移民法)。アジア人やアフリカ人に対する移民制限は,アメリカ合衆国や白豪主義に基づいて移民を制限(1901)したオーストラリアはもとより,中南米諸国でもみられた。…
【白豪主義】より
…オーストラリアにおける白人優先政策。19世紀半ばからのゴールドラッシュ時の中国人鉱夫流入,19世紀後半のクイーンズランド植民地のサトウキビ農園における太平洋諸島のカナカ族の導入(ブラックバーディングblackbirding)で,白人労働者は警戒心を強め,各植民地単位で中国人やカナカ族の移民制限法を成立させた。この動きは1901年のオーストラリア連邦成立とともに,全国的な移民制限法(アジア人とは銘打たない点に注意)として拡大された。…
【ブラジル】より
… 一方,軍事クーデタで政権をとったG.バルガスは国家主義的政策を推進し,外国人に対しては同化主義を強力に適用した。1933‐34年には新憲法審議会を主舞台に排日運動が展開され,排日を目的とした移民制限法が成立した。37年に樹立された新体制下で外国人に対する規制はさらに強化され,外国語による学校教育,新聞等出版物の発行,結社,集会が強力な統制を受け,あるいは禁じられ,やがてそれに続く太平洋戦争の勃発によって日本人移民は暗黒期に入った。…
※「移民制限法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」