世界大百科事典(旧版)内の税糧の言及
【一田両主制】より
…この場合,地主の土地所有権と小作農の耕作権は1対をなして,田底と田面(江蘇省),田骨と田皮(江西省),大苗(だいびよう)と小苗(福建省),糧業と質業(広東省)などさまざまの地方的名称で呼ばれたが,なかでも田面は耕作権を表す代表的名辞となっている。 辛亥革命以前の王朝国家の時代から,地主,自作農などの土地所有者は,たとえば明代では税糧,清代では地丁銭糧といわれる土地税を国家に納入する義務を負う一方,所有する土地を自由に処分することが法律上認められていた。小作農の耕作権は,長年のあいだ法律の明文で規定された権利ではなかったが,根強い慣習として地域社会の承認を得ていた。…
【元】より
…歴代中国の統一王朝でこのような例は絶無である。内郡では田賦を穀物で納める税糧と徭役の代替として銀・糸(絹糸)を納入する科差とから成るのに対し,江南では宋の両税法に基づく税役法がそのまま適用されたからである。この場合,南宋平定後の江南に従来のまま両税法が施行されたのはきわめて自然であるが,問題なのは内郡に行われた税糧,科差である。…
【明】より
…しかしこの面は中期に至って有名無実となった。 租税制度は,当初唐代以来の両税法をうけつぎ,田賦を夏税秋糧,略して税糧と称した。米麦を中心とする現物徴収が原則であったが,中期以降はしだいに銀納化が進行した。…
※「税糧」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」