立憲政体樹立の詔勅(読み)りっけんせいたいじゅりつのしょうちょく

世界大百科事典(旧版)内の立憲政体樹立の詔勅の言及

【大阪会議】より

…1875年1月から2月に,大阪で開かれた政府指導層間の会談。征韓論による政府内部の対立のため,西郷隆盛,板垣退助らが下野し,次いで参議木戸孝允も台湾出兵などに反対してその職を辞した。こうして〈有司専制〉支配を固めて,政権の土台を確立しようとしていた参議・内務卿大久保利通の地位は孤立した。そのころ高まってきた農民一揆や自由民権運動のなかで,参議井上馨,伊藤博文らは事態を憂慮し,木戸や当時自由民権家となった板垣と大久保を和解させ,政府権力の強化をはかろうとした。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」