世界大百科事典(旧版)内の竜渓宗潜の言及
【隠元】より
…翌6日に興福寺で開法し,55年(明暦1)には崇福寺(そうふくじ)に住して法を説いたが,その禅を求める学徒が群集したといわれる。同年8月妙心寺僧竜渓宗潜(のち性潜と称す)らの招きで摂津富田の普門寺に住し,京都に入り後水尾上皇に謁した。58年(万治1)江戸に行き湯島の麟祥院に寄寓していたが,同年11月竜渓の尽力があって将軍徳川家綱に謁している。…
※「竜渓宗潜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」