世界大百科事典(旧版)内の竪野窯の言及 【薩摩焼】より …この2窯では天目釉が多用され,俗に火計(ひばかり)手とよばれる白釉陶も焼いた。義弘が1619年(元和5)に没した後,2代藩主家久は窯を鹿児島市の城下にうつし,竪野窯をひらき,釉景色のゆたかな茶具を焼いた。この窯からは寛文6年(1666)銘の染付の陶片が出土している。… ※「竪野窯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by