竹田出雲(初世)(読み)たけだいずも

世界大百科事典(旧版)内の竹田出雲(初世)の言及

【蘆屋道満大内鑑】より

…5段。竹田出雲作。1734年(享保19)10月大坂竹本座初演。…

【大塔宮曦鎧】より

…別名題《太平記曦鎧》。竹田出雲・松田和吉(文耕堂)作。近松門左衛門添削。…

【菅原伝授手習鑑】より

…5段。竹田出雲,並木千柳(並木宗輔),三好松洛,竹田小出雲合作。1746年(延享3)8月大坂竹本座初演。…

【竹田座】より

…元禄から享保(1688‐1736)ごろが最盛期で,同じ道頓堀の他の人形芝居や歌舞伎芝居にも大きな影響を与えた。ことに竹本座では,初世近江の弟の竹田出雲を初世義太夫ののちの座本に迎え,竹田からくりのスペクタクル性を舞台にとり入れ,義太夫浄瑠璃の全盛時代を出現させた。【諏訪 春雄】。…

【近松門左衛門】より

…殺しや心中といった生臭い世俗の事件は当世的な歌舞伎によりふさわしい題材であったが,歌舞伎作者でもあった近松はそれを人形浄瑠璃に持ち込み,新しい世話悲劇へと発展させた。一方,《曾根崎心中》の興行的な成功によってそれまでの負債を一挙に返すことのできた義太夫は,それを機会に座本の位置を退き,替わって竹田出雲竹本座の経営に当たることになるが,近松はその座付作者となり,竹本座再発足の旗揚げとして上演された《用明天王職人鑑》(1705)を書いた。この年のはじめ近松は京から大坂に移住しているが,座付作者として執筆に専念できるようになった近松は義太夫,出雲と協力して,これより本格的な作者活動を展開しはじめる。…

【人形浄瑠璃】より

…若太夫はこの暗い戯曲に派手な東風の節付けを巧みに施し,興行的にも成功を収めた。一方,竹本座では近松門下の文耕堂,初世竹田出雲(竹本座経営者兼作者)らが,2世義太夫の質実剛健な語り口にふさわしい,英雄的な男性主人公の活躍を力強く描いた(《ひらかな盛衰記》など)。45年(延享2)両座の太夫の世代交替を機に,並木宗輔は竹本座に移り,2世竹田出雲,三好松洛らと合作《菅原伝授手習鑑》《義経千本桜》《仮名手本忠臣蔵》など,時代物の最高傑作を次々に著し,文三郎の人気と相まって人形浄瑠璃は隆盛の極に達し,〈歌舞伎はなきが如し〉とまでいわれた。…

【ひらかな盛衰記】より

…5段。文耕堂三好松洛,浅田可啓,竹田小出雲,千前軒(竹田出雲)による合作。1739年(元文4)4月大坂竹本座初演。…

【文耕堂】より

…ほかに,三好松洛との合作として36年(元文1)5月の《敵討襤褸錦(かたきうちつづれのにしき)》,37年1月の《御所桜堀川夜討(ごしよざくらほりかわようち)》,38年1月の《行平磯馴松(ゆきひらそなれまつ)》がある。竹田出雲との合作には,38年8月《小栗判官車街道(おぐりはんがんくるまかいどう)》,39年4月の《ひらかな盛衰記》,40年7月の《将門冠合戦(まさかどかむりがつせん)》などがある。41年(寛保1)5月の《新薄雪物語(しんうすゆきものがたり)》を,三好松洛,小川半平,竹田小出雲と合作した後は,文耕堂の署名入りの作品は消える。…

【用明天王職人鑑】より

…山路の子を身ごもった玉世は継母に憎まれ,堕胎させられようとするが,仏力の奇瑞で聖徳太子が誕生,山彦一派の外道は滅びる。初世竹田出雲が竹本座の座本に迎えられた第1作で,からくり応用のスペクタクル性に特色がある。【諏訪 春雄】。…

※「竹田出雲(初世)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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