世界大百科事典(旧版)内の第2次ボーア戦争の言及
【トランスバール共和国】より
…しかしイギリス植民地相のJ.チェンバレンは併合をあきらめず,A.ミルナーをケープ長官に任命し,トランスバールに対し露骨な内政干渉を行った。その干渉に耐えていたトランスバール政府も99年ついに開戦に踏み切った(第2次ボーア戦争)。開戦当初優勢であったボーア軍もイギリスが本国からおおぜいの援軍を呼び寄せたため,1900年6月首都プレトリアが陥落した。…
【ボーア戦争】より
…しかしイギリス植民地相J.チェンバレンは,A.ミルナーをケープ行政長官として派遣し,トランスバールに対し露骨な内政干渉を始めた。クリューガー・トランスバール大統領は譲歩を重ねたが,ついにオレンジ自由国と軍事同盟を結び,99年10月宣戦を布告した(第2次ボーア戦争)。開戦当初イギリス軍約1万5000,ボーア軍約4万で,戦闘の第一段階でイギリス軍はボーア人民兵に悩まされたため本国に援軍を求め,1900年3月にオレンジ自由国,6月にはトランスバールの首都をおのおの占領した。…
※「第2次ボーア戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」