世界大百科事典(旧版)内の第2次ユダヤ戦争の言及
【ユダヤ戦争】より
…このような経緯の中で,ユダヤ教の唯一神信仰に固執して,ローマによる支配をくつがえそうとする人々を中心に,各地で騒乱が続発,ついに第1次ユダヤ戦争に突入したが,ガリラヤに続いて70年にはエルサレムも陥落し,残り火ともいうべきマサダとエジプトの鎮圧をもって,反乱は終結した。(2)第2次ユダヤ戦争 ハドリアヌス帝治下(117‐138)ユダヤ地方に再び大規模な反乱が組織された。ベン・コシバがバル・コホバ(星の子)と称えられて(ラビ・アキバは彼をメシアとまで呼んだ)反乱を指導し,かなりの地域を有効に支配した時期もあったが,結局ベテルの戦に敗れて,反乱は鎮圧され,ユダヤ人はエルサレムへの立入りを禁じられ,祖国を追われることになった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」