世界大百科事典(旧版)内の筒井藤勝の言及
【大和国】より
…なお,地域的分裂に乗じて曹洞宗や一向宗が吉野郡にはじまって南大和に流布する。 やがて16世紀半ばには,筒井氏は古市,十市,越智氏の衰退に乗じて独走勢力となったが,おりから細川氏の家老三好長慶が台頭,その家臣の堺代官松永久秀が大和をねらって信貴山(しぎさん)城を築き,1559年(永禄2)久秀は大和守護職を称して乱入,幼児の筒井藤勝(順慶)ら国衆を追って奈良に進出し,翌年にはその北郊に多聞山城を築いて居城とした。近世城郭の第1号といわれる雄壮な構築であり,4階だての多聞櫓がそびえた。…
※「筒井藤勝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」