世界大百科事典(旧版)内の築地製糸場の言及
【古河市兵衛】より
…以後,養父の縁で京都井筒屋小野店に勤め,奥州一帯の生糸を買い付けては外人排斥の危険を冒して横浜に送り,同店の生糸取引に手腕をふるった。その功により38歳で小野宗家より別宅を許され,東京に居を構えて生糸貿易,蚕糸改良,築地製糸場(1871年器械をヨーロッパから輸入し,初めての器械繰りの糸を作る)経営に活躍し,また岡田平蔵らと院内,阿仁など東北各地の鉱山の経営にあたった。1874年に政府為替方の任にあった小野組が破産したため,独立して事業経営にのりだした。…
※「築地製糸場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」