世界大百科事典(旧版)内の米まんじゅうの言及
【まんじゅう(饅頭)】より
… 現在のようなまんじゅうの普及が確認できるのは《雍州府志》(1682)からのことで,同書によると当時の京都には浄因の後裔(こうえい)の烏丸の塩瀬,同じく帰化人を祖とする一条の虎屋,そのほかの店が競ってまんじゅうをつくっており,それらはいずれも砂糖を用いた小豆あんを入れるとしている。江戸ではほぼ同じころ,日本橋の塩瀬や本町の桔梗(ききよう)屋のものが知られ,また浅草待乳山の米(よね)まんじゅうが評判であった。米まんじゅうは同所の茶店鶴屋の〈よね〉という娘がつくったものとも,米の粉を使ったための名だともいう。…
※「米まんじゅう」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」