世界大百科事典(旧版)内の粉河酢の言及
【紀伊国】より
…近世中期の享保年間には広村の浜口儀兵衛らが下総の銚子にでかけてしょうゆ生産を始め,今日の銚子のしょうゆ生産の繁栄の端緒を作った。粉河酢も江戸時代初期から栄え,江戸その他各地に販売し,名声を得た。黒江漆器も江戸時代の初期からすでに有名で,幕末期には全国から黒江に漆器商人が集まり,賃稼職人も約2000人いるほどに栄えた。…
【酢】より
…江戸時代に入ると和泉酢のほかにも各地に良質の酢が産出するようになった。相模の中原酢,駿河の善徳寺酢,山城の伏見酢,尾張の半田酢,紀伊の粉河酢,摂津兵庫の酢などで,いずれも和泉酢の製法を基とし,それになにがしかのくふうを加えたものであった。《万金産業袋(ばんきんすぎわいぶくろ)》(1732)によると,江戸では北風(きたかぜ)酢というのが最高の酢とされていたといい,慶安(1648‐52)ころの江戸の酒店の引札には尾張酢1升28文に対して1升48文の値がつけられているが,これは上記のうちの摂津兵庫のものの称であった。…
※「粉河酢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」