世界大百科事典(旧版)内の粟田山陵の言及
【大宮院】より
…関東申次西園寺家の勢威を背景に,後深草以降4代の天皇の生母あるいは祖母として敬重されたが,正応5年9月9日68歳で没し,京都東郊南禅院に葬られた。いま粟田山陵という。後嵯峨院は〈治天の君〉の選定を鎌倉幕府にゆだねて崩御したため,幕府は故院の真意を大宮院に問い,その結果亀山天皇が〈治天の君〉となった。…
※「粟田山陵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…関東申次西園寺家の勢威を背景に,後深草以降4代の天皇の生母あるいは祖母として敬重されたが,正応5年9月9日68歳で没し,京都東郊南禅院に葬られた。いま粟田山陵という。後嵯峨院は〈治天の君〉の選定を鎌倉幕府にゆだねて崩御したため,幕府は故院の真意を大宮院に問い,その結果亀山天皇が〈治天の君〉となった。…
※「粟田山陵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新