世界大百科事典(旧版)内の糸絹問屋の言及
【和糸問屋】より
…一時的には生産地直買も行ったが,近江,美濃,飛驒,越前,甲斐,上野,武蔵,陸奥等の生産地荷主から送荷する生糸(為登糸(のぼせいと))を荷受けし,これを糸仲買仲間が立てる相場によって糸仲買へ売り渡した後,荷主との間で仕切り決済を行うという営業形態をとった。多くは類似の業態を有した絹問屋と兼帯し,合わせて糸絹問屋と称されることが多かった。17世紀後半ごろから専業問屋として成立し,1731年(享保16)22軒,35年には34軒をもって株仲間を結成,公認された。…
※「糸絹問屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」