細川三斎(読み)ほそかわ さんさい

関連語 細川忠興

世界大百科事典(旧版)内の細川三斎の言及

【細川忠興】より

…安土桃山~江戸初期の大名。藤孝の長子で,初め長岡を称する。幼名熊千代,通称与一郎。藤孝について織田信長に仕え,1577年(天正5)の雑賀(さいか)攻めで初陣。信長に近侍し,その子信忠より1字を与えられ忠興を名のる。歴戦の武功により丹後12万石余を与えられ,宮津に築城して八幡山城から移った。82年義父(妻のたま=ガラシャは光秀の娘)明智光秀が信長を殺して(本能寺の変),味方に招いたが,豊臣秀吉に荷担し,藤孝が入道ののち,家督を継ぎ,一色昭秀を誘殺して,丹後を手中にした。…

※「細川三斎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

《料理されるためにまないたにのせられた魚の意から》相手のなすに任せるより方法のない運命のたとえ。まないたの鯉こい。[類語]俎板まないたの鯉こい・薬缶やかんで茹ゆでた蛸たこのよう・手も足も出ない...

俎上の魚の用語解説を読む