コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

細川三斎 ほそかわ さんさい

2件 の用語解説(細川三斎の意味・用語解説を検索)

美術人名辞典の解説

細川三斎

安土桃山・江戸前期の大名。幽斎の長男。妻は明智光秀の娘玉子(細川ガラシア)。名は忠興、通称を与一郎、三斎は号、法名は宗立。はじめ秀吉に従うが、秀吉歿後は家康に従い関ヶ原の戦で大功をあげ、豊前中津藩主、のち小倉藩主となる。和歌・画・有職故実に長じ、また茶の湯を利休に学び七哲の一人に数えられる。正保2年(1645)歿、82才。

出典|(株)思文閣
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

細川三斎 ほそかわ-さんさい

細川忠興(ほそかわ-ただおき)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典内の細川三斎の言及

【細川忠興】より

…安土桃山~江戸初期の大名。藤孝の長子で,初め長岡を称する。幼名熊千代,通称与一郎。藤孝について織田信長に仕え,1577年(天正5)の雑賀(さいか)攻めで初陣。信長に近侍し,その子信忠より1字を与えられ忠興を名のる。歴戦の武功により丹後12万石余を与えられ,宮津に築城して八幡山城から移った。82年義父(妻のたま=ガラシャは光秀の娘)明智光秀が信長を殺して(本能寺の変),味方に招いたが,豊臣秀吉に荷担し,藤孝が入道ののち,家督を継ぎ,一色昭秀を誘殺して,丹後を手中にした。…

※「細川三斎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

細川三斎の関連キーワード石川康長今城為親清韓文英禅昌岡島右近牧興相酒井貞月弘尊安土桃山時代下津権内

今日のキーワード

平野美宇

卓球選手。2000年4月14日、静岡県生まれ、山梨県育ち。3歳で卓球を開始。07年に小学1年生で全日本選手権大会バンビの部優勝、09年に小学2年生で同大会ジュニアの部初出場を果たし、注目を集めた。13...

続きを読む

コトバンク for iPhone

細川三斎の関連情報