紹修書院(読み)しょうしゅうしょいん

世界大百科事典(旧版)内の紹修書院の言及

【書院】より

…1542年周世鵬(1495‐1554)が朱子の白鹿洞書院にならって,高麗の朱子学者安裕をそのゆかりの地慶尚道の順興に祭って立廟,白雲洞書院と命名した。50年李退渓の上書によりこれに〈紹修書院〉と賜額,書籍・田土等が下賜された。これが賜額書院の最初である。…

【李退渓】より

…中央官界の暗闘に絶望した彼は,隠退して洛東江上流兎渓(とけい)に養真庵を築き,兎渓を退渓と改めてみずからの号とし,学問に専心した。しかし,たび重なる任官の命を拒めず,丹陽,豊基の郡守,成均館大司成等に任じ,豊基郡守のときには,朝鮮最初の賜額書院である紹修書院を実現させた。59年帰郷し,翌年陶山書院を建て,以後は学問と後進の指導に従事した。…

※「紹修書院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」