継体新王朝論(読み)けいたいしんおうちょうろん

世界大百科事典(旧版)内の継体新王朝論の言及

【王朝交替論】より

…他方で,〈古王朝〉は大和三輪にあり,〈中王朝〉は河内に成立し,河内王朝が三輪王朝を征服したという説もあらわれた。さらに〈継体新王朝論〉がある。これは継体天皇が越前あるいは近江から迎えられたのは,近江の息長(おきなが)氏に代表される北方勢力が,武烈天皇で断絶した〈応神王朝〉のあとをうけて,大和の王朝を簒奪したとみる説で,継体を応神5世孫としたのは,その正統性を作為したにすぎないとするものである。…

※「継体新王朝論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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