世界大百科事典(旧版)内の綿花王国の言及
【コットン・ベルト】より
…ミシシッピ,アラバマ両州を中心にルイジアナ,ジョージア,サウス・カロライナの諸州にまたがる地帯は,綿花栽培に適した海岸平野の砂質ロームと年無霜日数200日以上,秋の収穫期の降水量250mm以下,年降水量450mm以上という自然条件を備えていた。さらに,プランテーションの豊富な黒人奴隷労働力を用い,開拓初期以来,綿花生産地域として発展,E.ホイットニーの綿繰機の発明も手伝って,1830‐60年には〈綿花王国Cotton Kingdom〉とも呼ばれた。綿花王国は民主党を通じて,州権論や低関税政策の強い主張者となり,工業化の進みつつあった東北部と対立,両者の軋轢(あつれき)は南北戦争をひきおこし,南部の敗北は綿花王国の終焉をもたらした。…
【奴隷廃止運動】より
… アメリカにおいては,産業構造上大量の奴隷労働を必要としなかった北部諸州は18世紀末から19世紀初めにかけて州ごとに奴隷制を廃止していった。しかし,南部諸州ではタバコ,綿花,米などの栽培に奴隷労働を使い,ことに綿花は綿繰器の発明(1793)以来アメリカ輸出産業の中心となり,南部は〈綿花王国Cotton Kingdom〉と呼ばれるほどになったので,奴隷の必要性は高まるばかりであった。奴隷制の存否は各州の権限にゆだねられていたので,同じ国のなかでこのような差が生じることになった。…
※「綿花王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」