世界大百科事典(旧版)内の総力戦研究所の言及
【総力戦】より
…さらに国家権力による国民の画一的組織化は,大政翼賛会や国民義勇隊などの官製国民運動団体の結成,青少年団,婦人会,在郷軍人会など既成の教化団体の育成と統合,学校制度の再編成,天皇制イデオロギーの注入などを通じて達成された。徹底した言論,思想,文化の統制も行われ,総力戦体制の研究ならびに軍官民の中堅指導者を再教育するための内閣直属機関として総力戦研究所(1940年10月1日~45年3月31日)が創設された。しかし大日本帝国憲法が定める分立的国家機構が障害となり,国務と統帥の矛盾をはじめとする支配層内部の矛盾と対立は解決されず,日本は一元的戦争指導体制を確立しえないまま敗戦を迎えた。…
※「総力戦研究所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」