総力戦研究所
1940年に設置され、国家総力戦に関する調査や研究、政府職員らの教育を担った首相直属の研究所。41年4月、30代の官僚や軍人、民間などの精鋭三十数人が集められた。模擬内閣をつくり、米国との戦争を想定した机上演習を実施。日米の国力には圧倒的な差があり、資源の供給も不足し「日本必敗」との結論を導いた。同年8月、シミュレーション結果を近衛内閣に報告したが、東条英機陸相が一蹴。12月に東条内閣の下、真珠湾攻撃で日米戦争に突入した。
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出典 共同通信社 共同通信ニュース用語解説共同通信ニュース用語解説について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の総力戦研究所の言及
【総力戦】より
…さらに国家権力による国民の画一的組織化は,大政翼賛会や国民義勇隊などの官製国民運動団体の結成,青少年団,婦人会,在郷軍人会など既成の教化団体の育成と統合,学校制度の再編成,天皇制イデオロギーの注入などを通じて達成された。徹底した言論,思想,文化の統制も行われ,総力戦体制の研究ならびに軍官民の中堅指導者を再教育するための内閣直属機関として総力戦研究所(1940年10月1日~45年3月31日)が創設された。しかし大日本帝国憲法が定める分立的国家機構が障害となり,国務と統帥の矛盾をはじめとする支配層内部の矛盾と対立は解決されず,日本は一元的戦争指導体制を確立しえないまま敗戦を迎えた。…
※「総力戦研究所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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