朝日日本歴史人物事典 「緒方惟栄」の解説
緒方惟栄
平安末期の豊後国(大分県)の武士。惟能,惟義,伊能とも書く。三郎。本姓は大神氏。宇佐八幡宮領緒方荘の荘司で,平重盛の家人であったが,豊後国知行国主藤原頼輔の説得で反平家方に付き,寿永2(1183)年8月に京から太宰府に落ちた平家を一族で攻撃し,豊前方面に追い落とした。その後,元暦1(1184)年7月には平家方に付いた宇佐宮大宮司を攻撃するため,宇佐宮に乱入している。この事件は朝廷の宗廟を汚したということで,京都でも大問題となった。その年の秋,源範頼の軍は平家追討のため九州に向かう。翌年2月に緒方惟栄とその一族が渡海に際し船を調達し,大功をたてるが,先の宇佐宮焼き打ち事件のために配流の官符を受ける。その後,義経の九州下向計画に失敗し,摂津で捕らえられ,上野(群馬県)沼田荘に配流された。<参考文献>渡辺澄夫『源平の雄/緒方三郎惟栄』飯沼賢司 『平家物語』巻8「緒環」によれば,緒方氏の先祖は豊後山里の娘とそこに通っていた日向(宮崎県)の姥岳の蛇神の間に生まれた男子で,あかぎれが多いので「胝大太」と呼ばれたとある。惟栄はその5代目の孫で,『源平盛衰記』には身体に蛇の尾の形と鱗があるとされている。緒方氏の始祖伝承は,『古事記』にある三輪山伝説(大神伝説)と同型の伝承であり,それが惟栄の強さの秘密を語る物語として利用されたものであろう。<参考文献>渡辺昭吾「蛇婿入譚の周辺」(『伝承文学研究』10号)
(小松和彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報