緒方惟栄(読み)おがたこれよし

世界大百科事典(旧版)内の緒方惟栄の言及

【緒方惟義】より

…平安後期の武将。生没年不詳。惟栄,惟能とも書く。豊後大野郡の郡領大神(おおが)氏の子孫で同郡緒方荘の荘司。平氏の大宰府掌握後,平重盛と主従関係を結んだが,源頼朝挙兵後は,付近の臼杵氏,長野氏らと平氏に反して豊後国目代を追放。以後,中北九州における反平氏勢力の中核となる。1183年(寿永2),豊後国守藤原頼輔から平氏追討の院宣と国宣を受け,平氏を大宰府から追放したが,宇佐宮焼打事件で遠流。緒方氏【山口 隼正】 《平家物語》巻八〈緒環(小手巻)(おだまき)〉によると,惟義の先祖は,豊後と日向の国境,優婆(姥)岳の蛇神が里の女に通って生ませた子で大太(だいた)といわれ,夏も冬も手足に胝(あかがり)(ひび,あかぎれ)が絶えなかったので胝大太と呼ばれたとある。…

【豊後国】より


【中世】

[鎌倉時代]
 1185年(文治1)源頼朝は謀反人源義経・行家の探索・追討を理由に,諸国に守護・地頭設置の勅許を得た。豊後は知行国主藤原頼輔以下,国司で同人の子息でもある頼経,同孫の宗長をはじめ緒方惟栄(これよし)(緒方惟義)など党類の国との理由から,とくに勅許を得て頼朝の知行国である関東御分国ヵ国のうちに加えられ,頼朝自身が同年12月から数年間知行国主となった。翌年国司に御家人の毛呂太郎藤原季光を推挙し,初代守護に腹心の中原親能(ちかよし)を補任した。…

※「緒方惟栄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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