義農作兵衛(読み)ぎのうさくべえ

世界大百科事典(旧版)内の義農作兵衛の言及

【松前[町]】より

…1732年(享保17)の大飢饉の際,筒井の百姓作兵衛は翌年播種する麦を残すため蓄えの麦種を枕に餓死し,義農とたたえられた。76年(安永5)松山藩主松平定静は義農作兵衛の墓碑を建て,1881年には義農神社としてまつられた。明治から昭和初年にかけては,陶磁器や海産加工品の行商が盛んで,販路は遠く中国大陸方面などにも及んだ。…

※「義農作兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む