世界大百科事典(旧版)内の義陽三関の言及
【信陽】より
…漢代には鐘武県,隋代には義南郡と呼ばれ,宋代より信陽と改名され,明代現在地に移った。南方には華北と華中を区切る桐柏・大別山地が横たわり,これらの山脈を横切る武勝,平靖,黄硯の三関は義陽三関と呼ばれ,古来中国が南北に対立するときは常に争奪の目標となった軍事上の要地である。河南省南部における経済の中心で,1957年には全国に先駆けて大型の農業生産協同組合を組織し,人民公社を生み出すきっかけとなった。…
※「義陽三関」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」