習鑿歯(読み)しゅうさくし

世界大百科事典(旧版)内の習鑿歯の言及

【道安】より

…後趙末の混乱期には,慧遠ら弟子数百人を率いて襄陽(湖北省襄樊市)に難を避け,檀渓寺を建て仏像を鋳た。習鑿歯(しゆうさくし)との会見で〈弥天(そらにあまねき)釈道安〉〈四安(天下に聞えし)習鑿歯〉というやりとりは有名である。379年(建元15)前秦の苻堅は襄陽を攻め,道安と習鑿歯を得て長安に帰り,顧問とした。…

※「習鑿歯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」