世界大百科事典(旧版)内の聖堂区の言及
【アンシャン・レジーム】より
…この両者の生活を,村と町の両面において検討してみよう。
[村の生活]
農村の生活の単位は,村の教会を中心とした〈聖堂区paroisse〉であった。17世紀末にボーバンは,約3万6000の聖堂区を数えているが,それはほぼ500~1000人程度の住民を持つ地域共同体である。…
【フランス】より
…第2には,とくにライン川とロアール川に挟まれたガリア北部を中心に,領主による局地的な領域支配を基礎とする封建的政治秩序が古典的な形で開花した事実が指摘されよう。そして第3には,キリスト教が,まさにこの時期において,その影響力を強め,11世紀以降,カトリック教会の末端組織である聖堂区が,おりしも形を整える村落共同体と重なり合うように,フランス全土にその網の目を広げていった事実がある。 こうした,社会のさまざまなレベルにおける組織化の進展のうえに立って,987年ユーグ・カペーに始まるカペー朝の諸王が,〈フランス〉なるものを生み出す絆の役割を果たすこととなった。…
※「聖堂区」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」