世界大百科事典(旧版)内の聶豹の言及
【羅洪先】より
…王守仁(陽明)に私淑し,王陽明の死後弟子の礼をとった。王畿と親密な講学の交流を交わしたが,彼の良知現成論には鋭く批判を加え,聶豹(じようひよう)(双江。1487‐1563)の帰寂説に賛成して,よりいっそう人間のもつ背理可能性を考慮して,王門右派の重鎮となった。…
※「聶豹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…王守仁(陽明)に私淑し,王陽明の死後弟子の礼をとった。王畿と親密な講学の交流を交わしたが,彼の良知現成論には鋭く批判を加え,聶豹(じようひよう)(双江。1487‐1563)の帰寂説に賛成して,よりいっそう人間のもつ背理可能性を考慮して,王門右派の重鎮となった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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