能登国大田文(読み)のとのくにおおたぶみ

世界大百科事典(旧版)内の能登国大田文の言及

【能登国】より

…《拾芥抄(しゆうがいしよう)》に見える平安末期ごろの総田数は8479町である。
【中世】

[能登国大田文の世界]
 平安末期の能登国は平氏一門の知行国(ちぎようこく)であったが,1181年(養和1)には国守の派遣した目代(もくだい)が在地武士によって追放されるなど,平氏の支配に対し反乱的状況が生まれていた。83年(寿永2)木曾の源義仲が平氏軍を撃破して北陸道を西上してくると,土田,日置,武部らの能登武士は,その陣営に加わった。…

※「能登国大田文」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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