世界大百科事典(旧版)内の脊振千坊の言及
【東脊振[村]】より
…村域北部の千石山(528m)南麓の坂本にあった霊仙(りようせん)寺付近は,1191年(建久2)宋から帰った栄西が日本最初の茶樹栽培をした地とされている。古くは脊振山山頂を上宮,霊仙寺を中宮,同じく坂本の修学院を下宮とする,〈脊振千坊〉と称される一大霊場の地であった。千石山はサザンカ自生北限地帯(天)でもある。…
※「脊振千坊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…村域北部の千石山(528m)南麓の坂本にあった霊仙(りようせん)寺付近は,1191年(建久2)宋から帰った栄西が日本最初の茶樹栽培をした地とされている。古くは脊振山山頂を上宮,霊仙寺を中宮,同じく坂本の修学院を下宮とする,〈脊振千坊〉と称される一大霊場の地であった。千石山はサザンカ自生北限地帯(天)でもある。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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