膠萊運河(読み)こうらいうんが

世界大百科事典(旧版)内の膠萊運河の言及

【大運河】より

…それから大清河を下って海に入り,大沽(天津市の東)を経て大都に至ることもあったが,のちには大清河岸の東阿(山東省東阿県)から陸運によって臨清に至り御河に入るようになった。元の初期まだ運河の整備されなかったころは,蘇州の瀏家口(りゆうかこう)(江蘇省太倉県)から海運で山東半島を回り大沽に達することもあれば,山東半島を大回りする海路を短縮するため,膠州(こうしゆう)(山東省膠県)から萊州(らいしゆう)(山東省掖(えき)県)まで膠萊運河を開いたこともあった。第2の会通河は89年に開かれ,須城県の安山から東平(山東省聊城県)を経て臨清に至って御河と会したのである。…

※「膠萊運河」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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