自主映画(読み)じしゅえいが

世界大百科事典(旧版)内の自主映画の言及

【アンダーグラウンド映画】より


[日本]
 1960年代に入って,日本でも東京の草月アートセンター主催による〈世界前衛映画祭〉〈アンダーグラウンド・フィルム・フェスティバル〉(ともに1966)などによって,〈アメリカン・アバンギャルド〉の作品が次々に紹介され,当時8ミリ映画のシステムが飛躍的に改良された(1965年に国内販売されるようになったスーパー8と国産のシングル8によって,フィルム上の実効画面の面積が拡大され,画質,明るさ,ともに向上した)こともあって,日本にも新しい前衛映画の作家たちが生まれた。例えば大林宣彦の《伝説の午後‐いつか見たドラキュラ‐Emotion》(1967)のような,その後70年代に入ってからも〈自主映画〉と呼ばれる一連の〈個人映画〉の流れに影響を与え続ける作品も生まれた。今日の〈自主映画〉群には,〈アメリカン・アバンギャルド〉本来の〈もっとも個人的なテーマをもっとも個人的な手段によって表現する〉という自由の精神が受け継がれているといえよう。…

※「自主映画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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