世界大百科事典(旧版)内の自由フランス軍の言及
【ド・ゴール】より
…6月18日,ド・ゴールは亡命先のロンドンよりフランス国民に向けて抗戦継続を放送で訴え,この放送とド・ゴールの名は,その後ドイツと戦い,抵抗するフランスを象徴するものとなった。ロンドンにおいてド・ゴールは自由フランス軍を組織し,連合軍に参加する一方,フランス国内のレジスタンス勢力の結集に努めた。連合軍による北アフリカ解放後の43年6月,アルジェでフランス国民解放委員会を組織,次いで44年6月2日,これをフランス共和国臨時政府に改組,その首相となる。…
【レジスタンス】より
…抵抗は,パルチザンに参加しあるいはそれを支持した農民たちにとって,オスマン帝国の支配に抗したかつての民族的誇りを回復し,義賊たち(ハイドゥク)の伝説を呼び覚まし,みずからの解放をかちとるためのたたかいだったのである。
[フランスのマキ]
西ヨーロッパにおいて,フランスの場合には,ド・ゴールがロンドンにおいて武装勢力たる〈自由フランス軍〉を組織した。それはビシー政府とは一線を画し,フランスを敗北に導いた軍とは異なる新しい機構による組織が目ざされた。…
※「自由フランス軍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」