世界大百科事典(旧版)内の自由画教育の言及
【クレヨン】より
…当時フランスに留学していた画家山本鼎(かなえ)がこの新画材を日本にもたらし,1921年桜商会がその製造,販売に着手した。山本はみずからの提唱する自由画教育運動の見地から,小学校低学年児童用の画材としてクレヨンが有益なことを唱導し,自由画教育の普及と併行してクレヨンは全国的に普及した。クレヨンは色彩が鮮明ではあるが重ね塗りによる色の混合ができず,他方,パステルは重ね塗りはできるが,顔料に白粘土が混入されていてわずかな接触でも剝落する欠点がある。…
【自由教育】より
…日本の場合,自由民権運動の過程で追求された自由教育は,教育への権力統制を排除しようとするものであった。また大正期には,たとえば山本鼎の自由画教育の提唱や土田杏村を指導者とする自由大学の運動があり,羽仁もと子の自由学園(1921),西村伊作の文化学院(1921),池袋児童の村小学校(1924)などが自由教育をスローガンにしたが,そこでは子どもの自発性や自己活動を尊重して教育改造をおしすすめることがめざされていた。また,第2次大戦後の〈新教育〉の理論や実践も,戦前の〈自由教育〉の系譜をひくものであった。…
【美術教育】より
…この実用主義的な臨本模写の教育に対し,版画家・洋画家であった山本鼎(かなえ)は1919年ころより〈小児には小児の感情理性――生活があるんです。印象,感覚,認識に据へられる彼れ等の実相があるのです〉という児童観によって,〈各人の眼を心を直ちに万象へ導き,其処に自然を知り,其美を知り,其美術を知り,其趣味の深淵を会得する〉ことをめざす自由画教育運動を推進した。この運動は教育現場の一部で自由放任という形で混乱を起こすこともあったが,芸術家,教師,父兄による民間の教育運動として展開し,美術教育の確立がはかられていった。…
※「自由画教育」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」