世界大百科事典(旧版)内の至本の言及
【天竜寺船】より
…41年(興国2∥暦応4)12月,足利直義(ただよし)は疎石に対して,明年秋に宋船2艘を渡航させるように告げた。疎石はまず1艘を渡航させることに決め,綱司(船長)として博多商人至本(しほん)を推挙し,直義もこれを許した。至本は商売の損益を論ぜず,帰朝時に現銭5000貫文を寺家に納めることを約し,42年(興国3∥康永1)秋に船は元に渡航した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」