興漢会(読み)こうかんかい

世界大百科事典(旧版)内の興漢会の言及

【会党】より

… 会党は反清の伝統をもつほとんど唯一の社会的勢力だったから,清末の革命党はそれを革命のために利用しようとした。興中会は華南の三合会,華中の哥老会のいくつかの山堂の首領と連絡して,会党と革命党の連絡組織としての興漢会を作り,さらに海外の洪門(致公堂)とも連絡した。また華興会,光復会も哥老会と結んでそれぞれ同仇会,竜華(りゆうげ)会を組織した。…

【興中会】より

…当初は,少数の華僑に支持されたにすぎなかったが,95年(光緒21)広東で,1900年恵州で,蜂起を企て,それらの失敗にもかかわらず影響力を増していった。孫文はまた,会党の哥老会,三合会を糾合して興漢会を作り,戦力強化をはかった。05年8月,宮崎滔天の斡旋で孫文と黄興の握手が実現し,興中会も,中国同盟会へと発展的解消をとげた。…

※「興漢会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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